近鉄が準本拠地として利用を始めてから四半世紀が過ぎた昭和59(1984)年。

藤井寺球場にナイター設備が完成し、近鉄は日生球場から実質的に撤退する。

プロ野球の興業という最大の収入源を失ったことに加え、戦後すぐに建てられた施設の老朽化と相まって、日生球場は平成9(1997)に閉鎖、解体された。

大阪前R21

その後、跡地は暫く放置されていたのだが、ようやく平成25(2013)年に用途が決定。

フェンスに掲げられた告示板によると、ここにはスーパー、家電量販店、スポーツジムなどができるそうだ。

一塁側スタンドと右翼スタンドの境目だったあたりに来た。

ここから外野スタンドがあった場所を、往時でいえば右翼から左翼へ向けて歩いてみる。

個人商店と民家が立ち並び、周囲に華やかさを演出するような要素は何もない。

道を挟んだ向かい側は何の変哲もない普通の住宅街だ。

ちょうどバックスクリーンとスコアボードのあった裏側あたりまで来た。

十字路を挟んだ反対側には小奇麗な公園が広がっている。

そこから右翼スタンドと三塁側スタンドの境目があったあたりへ。

その来る途中、外壁が黄色に塗られた劇場があった。

その劇場、名を「森ノ宮ピロティホール」という。

大阪前R22

球場が解体された理由のひとつとして、一帯に森ノ宮遺跡が存在していることもあった。

森ノ宮ピロティホールの地下には、森ノ宮遺跡からの出土品を展示した遺跡展示室がある。

ただし、一般に公開されるのは年に数日間だけとのことだ。

右翼スタンドと三塁側スタンドの境目があったあたりに着く。

ここは来るときに通り過ぎた場所で、件の歩道橋のあるあたりまでが三塁側スタンドが存在した場所、ということになる。

阪神高速の高架下を、再び歩道橋まで歩く。

日生球場の跡地には現在、ここに球場が存在したことを示すものは何もない。

ただ、歩道には野球場がデザインされたタイルが敷き詰められている。

このタイルだけが、昔ここに野球場に存在したことを主張しているかのようだ。

大阪前R23

再び歩道橋を登り、阪神高速の下をくぐって反対側へ渡る。
 
[旅行日:2014年6月23日]