ただ、なぜ男神の金山毘古命ではなく女神の金山比咩命だったのかは、よく分からない。
大彦命も少彦名命も男神だったので、バランスを取ったのだろうか。
石段を降りると、目の前に絵馬殿が立っている。
壁は上方と下方のみにあり、真ん中はポッカリと穴が空いている。
中に入ると上方に、昔のものらしき大きな絵馬が掲げられていた。
とはいえ、なぜか中には軽トラックが駐車している。
現在では駐車場として利用されているようだ。
再び石段を登って拝殿の前に立ち、今度は左側へと回り込み、横から拝殿と祝詞殿を眺める。
ガラスの格子戸と本殿を包み込む瑞垣の菱格子がコントラストを描き、いい感じに古寂びた木造建築と絶妙の美しさを醸し出す。
ここ伊賀国は忍者で有名だが、一方で芸能発祥の地でもある。
鎌倉時代に隆盛を迎えた能楽の始祖と伝わる観阿称は伊賀の出身。
能楽が武士階級の娯楽に発展した頃、獅子神楽が庶民階級に普及していった。
敢国神社に伝わる獅子神楽もまた、この時期に生まれたものと推測される。
敢国神社は伊賀上野城の鬼門を鎮護する守護神でもある。
[旅行日:2014年3月20日]