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ジオラマとガラスケースの更に奥、突き当りの壁一面には阪急電鉄の歴史を記した年表が掲げられている。

阪急電鉄の歴史を遡ると、ざっとこんな感じ。

明治43(1910)年1月15日に前身の箕面有馬電気軌道が宝塚本線と箕面支線を開業。

大正7(1918)年に阪神急行電鉄と改称。

戦時中の昭和18(1943)年、国策で京阪電鉄と合併し京阪神急行電鉄へ改称。

同48(1973)年に現社名の阪急電鉄に改称し、現在に至る、と。

同24(1949)年に京阪電鉄を分離しているにもかかわらず、京阪神急行電鉄という社名を四半世紀近く使い続けてきたところが面白い。

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年表の横には阪急グループの歴史を映像で紹介する装置が設置されている。

特に「プロ野球の誕生」や「初の日本一」「高知キャンプ」といったブレーブス関係の歴史映像が興味深い。

阪急ブレーブスの歴史は昭和10(1935)年、小林一三翁が職業野球団の結成と、専用野球場の建設を指示したところから始まる。

ライバル会社の阪神電鉄にも球団設立の動きがあり、これに対抗する意味合いもあった。

翌11年、大阪阪急野球協会が誕生し、全7球団で日本職業野球連盟が設立された。

阪急軍以外の球団は東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋軍、セネタース、大東京、名古屋金鯱(きんこ)軍。

翌12年には阪急西宮球場が完成。

設計にあたってはMLBシカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールドと同クリーブランド・インディアンスの本拠地ミュニシパル・スタジアムを参考にしたそうだ。

第二次世界大戦後の昭和22(1947)年、阪急軍はベアーズと改称し、再開したプロ野球リーグに参戦。

しかし、なかなか勝てなかったのでチーム名を公募してブレーブスに変更、ここに阪急ブレーブスが誕生した。

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昭和25(1950)年に日本野球連盟はセントラルとパシフィックの2リーグに分裂。

ブレーブスは同じ在阪私鉄を親会社に持つ近鉄バファローズ、南海ホークスとともにパ・リーグに所属することとなった。

とはいえ1950年代は南海と西鉄ライオンズの“2強時代”であり、ブレーブスは長らく優勝とは無縁のシーズンを繰り返していた。

転機となったのは昭和38(1963)年、西本幸雄の監督就任だった。

その後ブレーブスが迎えた黄金時代については、野球殿堂のレリーフのところで詳述している。

[旅行日:2014年6月23日]