rj05続敢國4T12

主祭神の大彦命、又の名を敢國津神(あえのくにつかみ)は紀元350年頃、第八代孝元天皇の長子として誕生した。

第十代崇神天皇の詔により「四道(しどう)将軍」の一人として子の建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)と共に北陸・東海を征討。

その後、大彦命一族は伊賀国に移住し、阿拝(あえ)郡(現阿山郡)を拠点にしたので「阿拝氏」を名乗るように。

その後「敢」「阿閉」「阿部」「安倍」とも呼ばれるようになった。

「あえ」とは「あべ」の原音であり「あべ」姓の総祖神でもあるそうだ。

「アベノミクス」も歴史を遡れば敢國神社にたどり着くということか。

それにしても主祭神の大彦命に対して配神が少彦名命とは少し出来過ぎのような気もするが、別にシンメトリーを狙っているわけではない。

大昔、伊賀地方には渡来人一族である秦(はた)氏が住んでいた。

彼らが朝鮮半島から持ち込んだ先進技術によって伊賀組紐や伊賀焼などの伝統工芸品が生まれ、今でも伊賀地方の特産品として全国的に知られている。

秦氏の信仰していた神が少彦名命であり、往時は現在の南宮山山頂付近に祀ってあった。

それが敢國神社の創建時に南宮山から現在地へと遷座したという。

敢國神社は大彦命一族の末裔である阿拝氏と、渡来人の秦氏の“混血”による神と言えるだろう。
 
[旅行日:2012年12月24日]