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神戸のハートランド三宮のド真ん中に鎮座する生田神社は、年間通じて大勢の参拝客で賑わう日本でも指折りの大神社。

ここもまた、稚日女尊を主祭神に祀っている。

由来は「『日本書紀』神功皇后条巻第9」に記されているのだが、伊射波神社のそれとは全く内容が異なっている。
 
神功皇后が新羅遠征から大和へ戻る途中、今の神戸港の辺りで船が進まなくなった。

占ったところ稚日女尊が現れ「活田長狭国(いくたながをのくに) に居りたい」と主張。

そこで海上五十狭茅(うなかみのいそさち)を神主にして、活田=生田の地に稚日女尊を祀った。

それが生田神社創建の由来だと社伝にある。

こちらの稚日女尊は機織りの女神ではなく、どうも神戸地方の産土神(地主神)らしい。

その後、風雨を司る神として朝廷から手篤く祀られた稚日女尊は、五穀豊穣や恋愛成就(?)の神として信仰を集めることに。

機織りの神と風雨の神という、このあまりにもかけ離れた神格。

それゆえ元は別々だった神格が結び付き、一つの神格になったのではないかとも考えられる。

だが、それを証明できる史料はなく、機織の神から風雨の神へと進化発展していった可能性も捨てきれない。

むしろ素盞鳴尊の狼藉に驚き亡くなった織女の名こそ具体的に記されていないわけだから。

生田神社の御祭神こそ真の稚日女尊じゃないかとも思えるのだが。

[旅行日:2012年12月24日]