当然ながら中は大パニックとなり、織女の一人は驚いた拍子に機具(はたぐ)の稜(ひ:横糸を通す道具)の端が女陰に突き刺さり、それがもとで亡くなってしまった。
スサノヲの狼藉に恐れ慄いた天照大御神が、天石屋戸の中へ身を隠してしまう契機ともなった事件。
その織女こそ稚日女尊だったと伝わっている。
ただ、古事記に具体的な神号までは記されていないのだが。
この稚日女尊を加布良古崎に祭祀したのが伊射波神社の始まり。
安政元(1854)年の大地震と大津波で社伝が失われたため正確な創建時期は不明。
往時は加布良古大明神、志摩大明神とも称されていたそうだ。
拝殿を出て裏手に回り本殿へ。
神明造りの小さな御社が、玉垣に囲まれてひっそりと佇んでいる。
まさに「古神道」という形容詞がピッタリ。
ちなみに現在の本殿は昭和51(1976)年に造営されたものだ。
ここで少し横道に逸れ、神戸にある生田神社について触れたい。