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近鉄鳥羽駅に到着した頃、既に日はトップリと暮れていた。

メインストリートの国道42号線側ではなく、JR参宮線のある山側から駅を出る。

目の前に広がる低山の裾に沿って歩くうち、一軒のコンビニを発見。

そこでキンミヤ焼酎のカップ酒や割り材、肴をしこたま購入し、再び歩き続ける。

コンビニの前から続く道の両側には、古風な商店や住宅が連綿と軒を並べている。

鳥羽は水軍で知られる九鬼氏が築いた鳥羽城の城下町。

宵闇に包まれた古い町並みが潮の香りを纏って静かに佇んでいる。

通りの左側には寄り添うように連なる小高い丘の稜線。

この丘こそ鳥羽城の城址なのだが、往時の建物は悉く失われ、現在では市民文化会館と市役所が立っている。

幕末に地震と津波で多くの建造物が倒壊し、そのまま明治維新を迎えたため再建されることなく破却されたそうだ。

本丸跡には昭和4(1929)年、鳥羽尋常高等小学校が立てられた。

“真珠王”御木本幸吉の出資と助言を得て建設された校舎は、三重県初の鉄筋コンクリート建築物。

県下一の設備と謳われた校舎は3階建てで、総工費は25万7349円。

小学校教員の初任給が昭和5(1930)年は5円50銭、平成24(2012)年は約20万円。

あくまでも単純に換算すると、当時の1円は現在だと3万6309円。

[旅行日:2012年12月23日]