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椿大神社が内務省神社局の調査で「地祗猿田彦大本宮」にされたのは昭和10(1935)年のこと。

もともと椿大神社は行満上人を奉る修験道の中心地であり「地祇猿田彦大本宮」は後から付け加えられたように思える。

中世、猿田彦大神を奉る一派は隆盛を極める修験道に飲み込まれるのを恐れ、こちらの都波岐神社へ祭神を一時的に“避難”させたのではないか?

江戸時代に入り、本居宣長門下の国学者である伴信友が「小社なれども一の宮なり」と考証し、そのまま伊勢国一之宮になった。

結局この“考証”が混同の源だったのだが。

とまあ、こじんまりとした社殿を眺めながら椿大神社との彼我の差を思いつつ、何の根拠もないまま判官贔屓気味に想像してみた。

境内で一人黙々と新年を迎える準備に勤しむ宮司さんの後ろ姿に黙礼し、境内を辞す。

これから高岡バス亭に向かい、バスでJR河原田駅へ行くつもりだ。

途中、小さなお寺に遭遇した。

門柱に「神宮寺」という表札が埋め込まれている。

ここは昔、都波岐奈加等神社の神宮寺だったのだろうか?

神宮寺は江戸時代以前の神仏混淆時代、神社の業務を遂行するために付随していた寺で、全国各地に存在した。

しかし明治政府の神仏分離令により社寺は切り離され、特定の檀家を持たなかった神宮寺の多くは消滅している。

[旅行日:2012年12月23日]