真清田神社の社殿群は昭和20(1945)年7月28日、第二次世界大戦の空襲で悉く焼失したため、すべて戦後に再建された。
この楼門もまた昭和36(1961)年11月、一宮市民を中心に寄せられた浄財を以って再建されたもの。
焼失した戦前の楼門にも勝るほどの総桧造りで、戦後の木造建築の白眉とされているそうだ。
入ってすぐ左側の手水舎は、その空襲を奇跡的に免れたもの。
水を滔々と流し続ける“吐水龍”は寛永8(1631)年、尾張藩祖徳川義直公が社殿を全面的に修造した際、龍神を祈雨祈晴の象徴として奉納したもの。
それから300年以上が過ぎた平成8(1996)年、経年劣化のため初代は引退。
現在の二代目に跡を譲った。
もちろん二代目は初代の忠実なレプリカである。
正面を向くとスクエアな空間の向こう側に社殿群が聳えている。
手前から奥に向かって拝殿→祭文殿→渡殿→本殿の順に並び、それらが連接した「真清田造り」と呼ばれる独特の配列。
棟木(屋根の最高位に取り付けつけられる材木)の向きが、拝殿と渡殿は南北方向、祭文殿と本殿は東西方向と互い違いになっている。
上空から見ると十字の形に建っているはずで、まるでヨーロッパの巨大な教会のよう。
先述の通り社殿は戦災で灰燼に帰し、再興されたのは終戦から10年余りが過ぎた昭和32(1955)年のこと。