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高札場とは幕府や領主が決めた法度や掟書などを、「高札」と呼ばれる木の札に記して掲示しておく場所のこと。

注目を引きつけるため人通りの多い場所に設置され、日坂宿では相伝寺観音堂の敷地内にあった。

掲示された内容は日坂宿が天領だったことから公儀御法度(幕府による法令)が中心だった。

左手へと続く緩やかな勾配を登り切ると、そこが東海道五十三次25番目の宿場町、日坂宿である。

天保14(1843)年の記録によると、日坂宿には本陣1軒、旅籠屋33軒、民家168軒、750人が住んでいたという。

静岡県内22宿の中でも規模と人口の両面において、由比や丸子と並んで最も小さい宿場町のひとつだった。

日坂宿の家々はわらび餅を売り、足いたみの薬や足豆散・足癒散などを売る者も多かった…。

江戸時代きっての文人、蜀山人こと大田南畝の著した「改元紀行」には、そう記されている。

ただ残念なことに現在の日坂宿は東海道の関宿や中仙道の妻籠宿のように、街道沿いが往時の古い建物で埋め尽くされているわけではない。

現代の住宅の間に古い木造建築物が幾つか保存されているといった程度。
それでも各建築物の保存状態は良好で、見ていて飽きることがない。

[旅行日:2012年12月21日]