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また、戊辰戦争の折に矢田部宮司は伊豆伊吹隊を結成し、三嶋大社は新政府側に加担。

東征大総督宮(有栖川宮)の先導警護や明治天皇の御通行警護などを奉じ、新政府に積極的に協力した。

この銅像は維新の功績を讃えて明治天皇から下賜されたもの…ではない。

矢田部宮司は社殿の再興だけでなく、大場川の治水工事や祇園原水路の開削など三島地域の開発に尽力。

こうした功績に対する市民からの感謝と敬慕の証しとして、昭和29(1954)年に建造されたのだ。

桜並木の参道を抜けると、今度は正面に神門が待ち構えている。

竣工は幕末の慶応3(1867)年8月10日で、総門に比べると小ぶりで非常にシンプルな建物。

だが、ここを抜けると先は境内の中でも特に神聖な第一清浄区域となる。

神門の右手前に神馬舎があり、壁には無数の絵馬がぶらさがっている。

その前に大小二つの石が並べて置かれている。

源頼朝と北条政子の腰掛石というそうだ。

左の大に頼朝、右の小に政子が、それぞれ腰掛けたという。

源頼朝といえば安房国一宮洲崎神社や相模国一宮鶴岡八幡宮など、関東一円の一宮と縁の深い御仁。

しかし頼朝にとって、ここ三嶋大社ほど運命を一転させた一宮は他にない。

[旅行日:2012年12月21日]