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総門をくぐり抜けると参道沿いに桜の木が立ち並んでいる。

右側に宝物館と芸能殿、左側には昨夜お世話になった社務所。

しかし、桜並木の後ろ側には初詣用に準備された大型テントが並び、その裏にある建物の姿は見えない。

なお、芸能殿は現在の総門が完成するまで使用されていた以前の総門である。

旧総門は幕末の安政東海地震で破損し、慶応4(1868)年2月11日に復旧工事が完了。

昭和5年に現在の総門が落成すると他の場所へ移築された。

戦後、再び戻って来ると一部改造された上で芸能殿として保存されることになったものだ。

芸能殿と参道を挟んで線対称の位置にに一体の銅像が立っている。

幕末から明治にかけて神主(宮司)を務めていた矢田部盛治(やたべもりはる)の像。

文化勲章を受賞した彫刻家、沢田晴広(せいこう)の手によるものだ。

嘉永7(1854)年11月4日に発生した安政東海地震で、境内の建造物はほとんどが倒壊。

それを矢田部宮司は10年の歳月と1万6677両という巨費を投じて復興させた。

先述の旧総門(現芸能殿)を再建したのも矢田部宮司である。

とまあ、三嶋大社は矢田部宮司の尽力なくしては現在の姿が想像できないと言っても過言ではない。

[旅行日:2012年12月22日]