境内の摂末社は他の神社のように一つ所に合祀されているのではなく、個々が独立した小さな祠として、森の中に散在していた。
このような摂末社の祀られ方を見たのは初めてで、古神道本来の姿を見たような気がして、畏れにも似た感情が湧き上がってきた。
特にこの日は雨が降っていて周囲が薄暗かったため、どこか神秘的に見えたせいでもあるだろう。
晴天の日に改めて見たら、また違った印象を受けるのかも知れない。
ちなみに社叢「ふるさとの森」は暖地性植物が繁茂し、さいたま市から天然記念物に指定されている。
境内を離れて石段を降りる。
正面に架かる朱塗りの神橋を渡り、そのまま直進すると突き当りに「磐船祭祀跡遺跡」。
ここから遺跡までの一本道は「御幸道」と呼ばれている。
氷川三社の直線配列[高鼻男體社-中川簸王子社-三室女體社]は、自然歴として利用するためだと既に述べた。
しかし三社には、もうひとつ重大な役割が負わされていた。
それは灌漑用水であり、水害をもたらす元凶でもあった「見沼」の鎮護である。
[旅行日:2013年5月20日]