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随神門をくぐり、回廊に囲まれた内側へ。

なお、拝殿や本殿など回廊内の建物は写真の撮影が禁止されている。

随神門から拝殿までの距離はほとんどなく、すぐ目の前に立ちふさがる感覚。

二礼二拍手、手を合わせて目を閉じ、息をスゥーッと吸い込み、八幡神と意識をシンクロさせる…ように試みる。

鶴岡八幡宮の祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、比売神(ひめがみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)の三柱。

第十五代応神天皇は歴史的に実在した最初の天皇と目され、神道上は応神天皇イコール八幡神とされている。

なお、応神は諡号(しごう)であり、諱(いみな)の誉田別命(ほむだわけのみこと)のほうが一般的だ。

誉田別命は父の仲哀天皇が崩御した後、筑紫国(福岡県)にて生誕。

母は鶴岡八幡宮に一緒に祀られている“聖母神”神功皇后(じんぐうこうごう)。

その後、大和国(奈良県)に戻り、母の摂政のもとで皇太子に。

大和国軽島(奈良県橿原市大軽町)に明の宮を造営し、神功皇后の死後、第十五代天皇に即位。

四十一年に及ぶ治世下では百済(くだら)から受け入れた帰化人によって経典や典籍がもたらされたり、当時の中国から文芸や工芸などを積極的に導入したり、この時代に日本文化の基礎が築かれたと学問的にも評価されている。

その“人皇”応神が何故、死後に八幡神として崇められるようになったのか?

(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]