バス停から徒歩2~3分ほどで「洲崎神社」と大書きされた標柱に出くわす。
アクリル板で出来たそれは、神社の案内標というよりスナックの看板のようだ。
標柱の矢印に従って進むと参道が見えてきた。
入り口に立つ社号標は黒い石に掘られた真新しい巨大な柱と、古い柱の二種類ある。
古い柱には「一宮洲崎大明神」と刻字されている。
社号標が作られたのは安政3(1856)年。
明治維新の神仏分離までは「明神」だったわけだ。
真ん中にポッキリと折れた跡が残る。
安政の大地震か、関東大震災か、それとも先の東日本大震災か。
いずれの爪痕かは定かではない。
入り口脇にある解説板によると「洲崎神社」と書いて「すのさきじんじゃ」と読むそうだ。
バス停の名は「洲の崎神社前」だったが、正式名称にひらがなの「の」は入っていない。
創建は神武天皇元年、西暦にすると紀元前660年。
御祭神は天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)。
安房国にはもう一つ「安房神社」という一之宮があり、こちらの御祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)。
その后神が天比理刀咩命なのだ。
参道を進むと正面に大きな神明鳥居、その左右に石灯籠。
鳥居の前に金属製のポールが設置され、そこに注連縄用が張られている。
鳥居が大き過ぎ、貫まで容易に届かないので、あえて注連縄用に誂えたのだろう。
(旅行日:2012年12月17日)