2階の資料室を見学しながら諏訪藩の歴史について学ぶ。
まず、領主は諏訪氏なのに、なぜ高島城は日根野高吉が築城したのか?
天正18(1590)年、領主だった諏訪頼忠が徳川家康の関東転封に伴い武蔵国へ付き従ったのが、その理由。
後釜に豊臣秀吉の家臣だった高吉が転封し、2万7千石を以って諏訪の領主に。
高吉は安土城や大阪城の築城にも携わった築城の名手。
転封の翌年、天正19(1591)年には既に城地の見立てと設計を終えていたそう。
文禄元年(1592)に着工し、慶長3(1598)年まで7年ほどかけて築城したという。
高吉は本丸に三層三階の望楼型天守を建造。
天守をはじめ主要建造物の屋根が瓦葺きではなく杮葺きだったことが特徴だ。
湖畔のため地盤が軟弱で重い瓦が使えなかった、寒冷地の諏訪で瓦は凍って割れてしまうから…などと言われているがハッキリした理由は不明の由。
その後、関ヶ原の戦いで徳川軍に属した諏訪頼水(頼忠の子)が慶長6(1601)年、家康の恩恵で旧領の諏訪へ再転封となり諏訪氏が藩主に返り咲く。
以後、諏訪氏は10代藩主忠礼に至るまで270年間にわたり諏訪の領主に君臨したという次第。
高島城は明治4(1871)年、新政府の意向により破却が決定し、同8(1875)年に撤去が完了。
翌9(1876)年に本丸跡が高島公園として一般に開放された。
3階へ上がり、展望台から諏訪の街を見渡してみる。
諏訪湖と幾つかの川に囲まれ、水を防御の盾とする難攻不落で名を馳せた高島城。
遠く離れた諏訪湖畔との間に広がる諏訪の街並みを眺めていると戦国戦乱の匂いなど微塵もなく、時おり吹き抜ける柔らかな風が平穏な歴史を感じさせてくれる。