2018年05月

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]12

諏訪下秋39

鳥居を出て太鼓橋を渡ると、左側にこんもりとした森がある。

案内地図を見ると「八幡山」とある。

石段を進んでいくと鳥居が2つ。

その奥に小さな御社が2つ、横に並んでいる。

左側が八幡社、右側が恵比寿社。

どちらも秋宮の摂社のようだ。

八幡山から山王閣へ長生橋という陸橋が架かっている。

橋の袂に山王閣の日帰り入浴の案内が立っていた。

諏訪湖を一望できる展望台もあり、秋宮参拝の際は気軽に利用できる便利な施設なのだが。

閉館となれば秋宮を取り巻く環境の魅力が少し削がれることになるだろう。

諏訪下秋44

再び秋宮の正面に出、下諏訪駅の方を眺める。

一直線に伸びる広い道路は一見、表参道のように見えるが。

実は五街道のひとつ中山道であり、今は国道142号線でもある。

緩やかな坂を下っていくと、途中に高札場があった。

高札場とは江戸時代に「高札」を掲げた場所。

高札には法度[はっと]や禁令、罪人の罪状などが記されていた。

世間に広く知らしめるため、人通りの多い街道の入り口などに設けられることが多かった。

下諏訪駅前に出た。

駅前には御柱と曳綱のモニュメントが設置されている。

昨日は暗いうえに急いでいたので気付かなかった。

ここ下諏訪駅から今度は下社春宮へ向かう。

ただ、秋宮ほど近くなく結構な距離がある。

それでも、歩いて行くことにした。

諏訪下秋46

[旅行日:2016年12月12日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]11

諏訪下秋34

境内には摂末社が幾つか鎮座している。

拝殿の向かって右側、一の御柱の奥には稲荷社、若宮社(建御名方神の御子神)、皇大神宮社が並んでいる。

一方の左側、二の御柱の手前には奥から八坂社、賀茂上下社、子安社、そして鹿島社が並んでいる。

鹿島社といえば祭神は建御雷神[たけみかずちのかみ]、つまり建御名方神を出雲から諏訪へと追い詰めた神。

その“仇敵”すら一緒に祀るのは調和を尊ぶ「和の心」の為せる技なのだろうか?

鹿島社の隣に奉納された菰樽が整列している。

看板に「諏訪の銘酒」とあるように諏訪は酒どころだ。

中でも特に有名なのが「諏訪五蔵」(舞姫/麗人/本金/横笛/真澄)。

これら五つの酒蔵が鎬を削ってきた。

とはいえ「諏訪五蔵」は全て上諏訪の蔵元。

地元下諏訪町の蔵元は一番左側の「御湖鶴」、菱友醸造のみである。

諏訪下秋35

菰樽と土俵の左隣に立砂が祀られている。

看板に「神宮遥拝所」とあるように、伊勢神宮との間を行き交うホットラインの入り口なのだろうか。

寝入りの松の方へ歩いていくと階段があり、下った先に宝物殿が立っている。

ここには国の重要文化財「売神祝之印[めがみほうりのいん]」が収められている。

これは平安時代の大同年間(806~810)に平城天皇より御下賜されたと伝わる銅製の大和古印[やまとこいん]。

大和古印とは大宝律令のもと日本で独自に作られた官印のこと。

下社では明治初年まで神印として実際に使われてきたそうだ。

他にも武田信玄や松平忠輝の奉納品といった資料が展示されている。

境内を後にしようとネイリの杉の前を回り込むと冠木門があり、その奥から湯気がモウモウと立ち上がっている。

近づいて見ると手水舍。

ただし、温泉が掛け流しの「御神湯」だった。

湯口は竜神伝説に因んでか竜の形に象られている。

掛け流しの温泉は「長寿湯」と呼ぶそうだ。

諏訪下秋38

[旅行日:2016年12月12日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]10

諏訪下秋28

神楽殿を過ぎると正面には拝殿がデンと待ち構えている。

二重楼門造りで両側に片拝殿を従えている珍しい構造。

江戸中期の絵図面によると、中央の拝殿は帝屋(御門戸屋)、片拝殿は回廊と記されているそうだ。

幣拝殿は昭和58(1983)年に神楽殿とともに国の重要文化財に指定されている。

向かって左側の片拝殿を見る。

現在の建物は初代立川和四郎富棟の施工で、安永10(1781)年の春に建立された。

一方の春宮は芝宮(伊藤)長左衛門が請負い、秋宮より後に着工したものの、1年早い安永9(1780)年に竣工させている。

春宮と秋宮は同じ絵図面が与えられたようで、大きさこそ違うものの構造は同じ。

立川と芝宮それぞれの彫刻の技量により、両社の建築は競われている。

次は右側の片拝殿へ。

手前に珍しい木が植栽されている。

幹の色から「白松」と呼ばれる三葉の松。

原産地は中国大陸で、初めて日本に入ったのは明治の中ごろ。

諏訪大社の白松は大正8(1919)年、京城(現・韓国ソウル)在住の諏訪出身者から寄贈されたもの。

昭和39(1964)年5月12日、天皇皇后両陛下が行幸啓の際に親しくご覧頂いたという。

昭和天皇還暦のお祝いの折、皇居にも植樹されたそうだ。

諏訪下秋29

諏訪大社は四宮すべてに本殿がない。

その代わりというか、他の神社では本殿が鎮座している場所に「御宝殿」が立ち、その奥にある御神木を御神体としている。

秋宮の御神木は飛騨一宮水無神社の項でも登場した一位[いちい]の木、春宮は杉の木だ。

諏訪神社といえば「御柱祭」。

「みはしらまつり」とも「おんばしらまつり」とも呼ばれる「日本三大奇祭」のひとつ。

ただし、どの祭りを以って「三」というのか諸説あり、定まっていないようだ。

御神木を御神体として崇める形態は、巨岩や大木といった神籬[ひもろぎ]に神が宿るという太古の自然信仰が今に受け継がれているともいえる。

拝殿から奥へグルリと回り込み、塀越しに御宝殿を見る。

茅葺屋根で神明造りの建物が左右に二棟並んでおり、新しい方を神殿、古い方を権殿という。

御宝殿は七年に一度、御柱祭が行われる寅年と申年に建て替えられる。

その際は御遷座祭が行われ、寅年から申年までは向かって右側、申年から寅年までは向かって左側で行われるそうだ。

祀られているのは建御名方神と八坂刀売神の御霊。

本殿ではないとはいえ、社殿には千木もあれば鰹木も乗っている。

実質的に本殿の役割を果たしているかのようだ。

諏訪下秋33

[旅行日:2016年12月12日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]09

諏訪下秋25

坂を登り切ると眼前に一本の巨大な杉が聳立している。

「ネイリの杉」と呼ばれる、樹齢600~700年と伝わる御神木。

名の由来は、挿し木に根が生えた杉なので「根入りの杉」…なのだが。

丑三つ時(超ド深夜)になると枝先が垂れ下がり寝入った姿に見え、しかもイビキまで聞こえてくるので「寝入りの杉」だという説もある。

どちらが本当かは知る由もないが、この木の小枝を煎じて子供に飲ませると夜泣きが止む…と伝承されている。

ネイリの杉の先で待ち構えてるのは神楽殿。

三方切妻造りで、軒先には巨大な注連縄が吊るされている。

諏訪立川流二代目和四郎富昌の設計で、完成は天保6(1835)年。

富昌54歳の棟梁で、渋めな意匠は初代である父の立川和四郎富棟が建てた幣拝殿の華麗さと対照的。

だが、その地味なデザインが幣拝殿を際立たせているかのようだ。

諏訪立川流は神社仏閣など楼閣建築を装飾する伝統彫刻「宮彫[みやぼり]」の代表的流派。

二代目である富昌は持って生まれた天賦の才能に加え、父から授かった技能と異常ともいえる努力をミクスチャーし、宮彫の最高峰を極めた。

寛政の改革で有名な徳川幕府の老中松平定信は富昌を特に高く評価。

「内匠[たくみ]」の称号を許された富昌は幕府御用達となり、日本一の宮彫師となった。

諏訪下秋027

神楽殿の前には狛犬。

高さが1m70cmもあり、青銅製では日本一とも言われている。

芸術院会員だった清水多嘉示が昭和5(1930)年に奉納したものが初代。

第二次大戦時に供出され、昭和35(1960)年に再び清水の手で復元されたのが現在の二代目だ。

神楽殿に張られた巨大な注連縄は氏子有志による大〆縄奉献会が出雲から職人を呼んで作らせたという逸品。

大国主神の息子である建御名方神が祭神だけあって、出雲大社の注連縄と形状が良く似ている。

重さは推定500kgほどあり、全長13mは出雲大社型の注連縄では日本一の長さを誇るそうだ。

諏訪下秋27

[旅行日:2016年12月12日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]08

諏訪下秋17

社号標の奥に石灯籠を模していながらも、神社とは不釣り合いな不思議な塔が立っている。

下諏訪の地でオルゴールを作り続けてきた三協精機(現・日本電産サンキョー)が建てた「オルゴール塔」。

1時間3回、30弁のオルゴールが音色を奏でるという。

塔の真ん中には御柱祭の「木落し」をイメージしたからくりが装置があり、オルゴールの奏鳴に合わせて動き出すそうだ。

オルゴール塔の隣には手水舎。

その後背に池が広がっている。

「千尋池」といって、水源は御手洗川の清流だ。

この「千尋池」は底が遠江国浜松近辺の海までつながっている…そんな言い伝えがあるそう。

それが「千尋」という名の由来。

社伝によると、火災の際この池の底から宝物が灰に塗れて発掘された。

それが国重要文化財の「売神祝印[メガミホウリノイン]」。

奈良時代に平城天皇から賜ったと伝わる社宝なのだそうだ。

諏訪下秋19

太鼓橋を渡って境内へ。

右手に「下社秋宮」と墨書された看板が掲げられている。

諏訪大社には上社と下社があり、更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれている。

つまり四つの神社から一つの大社が構成される珍しい一宮だ。

諏訪大社の祭神は主祭神の建御名方神と妃神の八坂刀売神。

ただ、下社と上社では微妙に異なる。

下社は秋宮春宮ともに建御名方神と八坂刀売神、さらに兄神の八重事代主神が配祀されている。

一方の上社は本宮が建御名方神、前宮が八坂刀売神と分かれている。

鳥居をくぐって境内へ歩を進める。

外側に鳥居は他に見当たらないので、これが一の鳥居に当たるようだ。

緩やかな坂道になっている表参道は中央に石畳、その両脇に石段。

例えれば自転車も通れる歩道橋のようになっている。

諏訪下秋21

[旅行日:2016年12月12日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]07

諏訪下秋14

しかし、湖底に泥やヘドロが分厚く堆積し調査は難航。

結局、窪みの正体を突き止めるまでには至らなかった。

今から400年以上も前、湖底に大穴を掘るような土木技術を武田家が持っていたのか?

遺骸を湖に沈めることは可能でも、湖底に墓を築く作業までは不可能な気がするのだが。

そんな歴史ミステリーの存在など我関せずとでも言いたげに、諏訪湖の湖面はキラキラと輝いている。

山王閣の玄関を出ると、前庭に一体の銅像が立っていた。

手塚別当金刺光盛の像。

「山王台」と呼ばれているこの土地は、手塚光盛の居城「霞ヶ城」があった場所だ。

光盛は平安時代後期の武将で、源“木曾”義仲に付き従い、寿永2(1183)年に倶利伽羅峠の合戦に源氏方として参戦。

加賀国篠原の戦いで光盛は敗走する平氏勢の中で踏みとどまった武将の斎藤別当実盛[さねもり]と一騎打ちになり、見事に首級を挙げた。

その実盛、実は「駒王丸」こと幼き日の義仲の命を救った恩人であり、その死に際し義仲は号泣したという。

古式に則った一騎打ちは武士道の鏡とされ、能「実盛」の題材となって現在まで伝わっている。

その光盛は後に源頼朝の軍と戦い、寿永3(1184)年1月に近江国で敗死した。

諏訪下秋15-1

前庭を抜けて道路に出ると、通勤通学の時間帯ということもあってか、ひっきりなしに車が行き交う。

その間隙を縫うように歩いていくと下社秋宮の正面に出た。

丘陵の麓から幅広の道路が緩やかな勾配を描いて伸び、その突き当たりに諏訪大社が鎮座している。

だが、その道路に神社の参道という雰囲気は薄い。

さて、正面向かって札側には「諏訪大社」と大きく刻まれた巨石の社号標が聳立している。

ここは全国各地に約2万5000社あるという、社名に「諏訪」を冠する神社の総本社。

「諏訪」という地名の由来には諸説あるが、沢[さわ]が転訛して「すわ」になったという説が有力なのだとか。

ちなみに「すわ一大事!」の「すわ」とは関係なさそうだ。

諏訪下秋15

[旅行日:2016年12月12日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]06

諏訪下秋13

翌朝、大浴場へ向かうためロビーへ降りてみると壁一面に広がる大きな窓から、朝日を浴びてキラキラ輝く諏訪湖が遠くに見えた。

ドアを開けて前庭へ出てみると、冷んやりとした空気に身躯が包み込まれ、一瞬にして目が覚めた。

ここ諏訪湖には「湖底に武田信玄の墓がある」という伝説がある。

信玄は元亀4(1573)年4月12日、信州伊那谷の駒場[こまんば]で病没。

死を3年間隠蔽するよう指示した遺言に従い、天正4(1576)年4月に甲州塩山の乾徳山[けんとくさん]恵林寺(えりんじ)に葬られた。

このあたりの経緯は過去に小説や映画、ドラマなどで幾度も描かれており、お馴染みのストーリー。

ただ、隠蔽期間が3年間もあったため遺骨が散逸し、墓所が恵林寺以外にも高野山など幾つか存在している。

そのうちのひとつが、ここ諏訪湖。

しかも湖底にあるそうだ。

武田家の戦功や武略などを記した軍学所『甲陽軍鑑[こうようぐんかん]』にも「亡骸は甲冑を付けて諏訪湖に沈めよ」という記述がある。

天正4年4月12日の夜中、家臣たちが掲げる松明の赤い炎に照らされ、石棺が赤い泡を吹きながら静かに湖底へ沈んでいった…と伝承されているそう。

本当かどうかは分からないが、一代の英雄武田信玄の存在を誇張するため、多少は大げさに記述されている面もあるのだろう。

ところが昭和62(1987)年、国土地理院が水中ソナーで湖底の地形を調査した時のこと。

人工的に作られた、一辺が25mもある巨大な菱形の窪みと思われる影が映し出された。

東西20m弱、南北20m強、四つの角は東西南北を指しているという。

菱形は武田家の家紋であり、これは『甲陽軍鑑』に記された信玄の墓では? と、世間が大きくザワつく。

その後、平成2(1990)年まで調査が5回行われた。

窪みの内部には3~4m大の穴があり、墓らしき痕跡を示す品も出土したそう。

水中墓の存在が現実味を帯び、否応にも期待感が高まってきた。

[旅行日:2016年12月12日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]05

ここで注文してあった「海鮮・鶏つくね鍋」が到着。

養老ビールも底を突いたので、地元諏訪の地酒「横笛」の純米酒を注文する。

海なし県の長野で海鮮鍋は野暮かと思えるが、横笛に合うアテという条件を優先した選択。

冷え切った外界を尻目に暖かい鍋を肴に清冽な清酒を舐める至福感は、この季節でしか味わえない。

ここで、今度はRADWINPSの「前前前世」が聞こえてきた。

今年、社会現象にもなった映画「君の名は。」の劇中歌であり、この曲も合わせて大ヒット。

映画の内容について既にご存知の方も大勢いるかとは思うが、内容を明かさないのがルール。

なので、本稿と関わりのあることだけに限って言ってみる。

主人公の一人、宮水三葉[みやみず・みつは]は岐阜県糸守町で暮らす女子高生。

糸守湖という大きな湖の畔りに古くから鎮座する宮水神社で巫女を務めている。

劇中、糸守湖を空中から俯瞰した映像が出てくる。

これを見て「諏訪湖がモデル?」と思ったのだが。

モデルにしたのは別の湖と新海誠監督はコメントしており、結局は自分の勝手な思い込みだったようだ。

それはともかく、こうして神社を巡り歩いている者にとって「君の名は。」は非常に興味深い映画ではある。

神の力とは何か? 

なぜ人は最後の縁[よすが]として、それに縋[すが]るのか? 

俗に言う「パワースポット」的な力は本当に存在するのだろうか?

最後、白飯と生玉子を注文して「海鮮・鶏つくね鍋」に投入、雑炊にして一人きりの宴会を締めくくった。

古神道では山や巨石や大木といった神籬[ひもろぎ]に神が宿る…とされる。

悠久の時が流れる間、そこへ人々の祈りが絶え間なく折り重なり続け、やがて「念」に姿を変えて精霊的な力を持つに至ったのではないか?

帰り道、夜空に輝く月を眺めながら、そんなことを考えてみた。

諏訪下秋11

[旅行日:2016年12月11日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]04

諏訪下秋12

夕食を求めて街に出る。

下諏訪温泉は旅館が多く、食事だけという店が意外と少ない。

小規模な温泉場は入浴から食事、飲酒からお土産まで旅館内で済む「オールインワン」が主流。

例えば熱海や別府といった大規模な歓楽地と、隣接する箱根や湯布院を比較してみれば両者の違いは明らかだ。

そんなことを考えながら町中を探し回ったものの、ただでさえ店の数が少ないうえ日曜日の夜でもあり閉めている店も多く、なかなかこれといった食事処に行き当たらない。

結局、駅前に戻ってくると、どこからか桑田佳祐、続いて松任谷由実の歌声が聞こえてきた。

どうやら〝音源〟は駅前で明かりが灯っている唯一の居酒屋「養老の滝」の模様。

BGMの選曲センスが気になったので、ここへ止む無く入ってみた。

止む無く…とは無礼な言い方かも知れないが、なにせ「養老の滝」は日本中どこでも見かける大手の居酒屋チェーン。

なにせ自宅最寄りの駅前にもあるぐらいなので、普通なら選択肢には入れない飲み屋ではあるのだが。

ただ「養老の滝」は昭和13(1938)年、先ほど電車を乗り換えた松本で創業している。

これも何かの縁かも知れないと思い、暖簾をくぐった。

日曜の夜ということもあってか、店内は空いている。

隣接する日本電産サンキョーの従業員と思しき男女グループが一組いるぐらい。

おなじみ「養老ビール」を飲みながら、お通しと「おつまミミガー」をツツいていると、山本彩の「ひといきつきながら」という曲が流れてきた。

山本彩はNMB48のキャプテン。

今春まで放送されていたNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」でAKB48が歌っていた主題歌「365日の紙飛行機」のメインボーカルとして、AKBのファン層以外にも知名度が広まった。

しかし、この曲「ひといきつきながら」はAKBグループと全く無関係。

元々JT(日本たばこ産業)のCMソングで、彼女が歌う遥か以前から使われていた。

それだけにAKB的なギミックが一切排除された、彼女本来の歌唱力を堪能できる貴重な曲なのだ。

[旅行日:2016年12月11日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]03

諏訪下秋08

ホームに降りると改札口の前で不思議な見た目の仏像「万治の石仏」がお出迎え。

もちろんこれはレプリカで、本物は諏訪大社下社春宮の近くに鎮座している。

駅舎を後にし、駅前から伸びる商店街を歩く。

沿道の店々は古ぼけた表情を見せ、あまり繁盛している活気が感じられない。

鉄道が下諏訪へのアクセス手段としての役割を終えている証なのだろうか?

4~5分ほど歩くと国道142号線、通称「大社通り」という広い道に突き当る。

そこを右折して直進した突き当たりに諏訪大社下社秋宮は鎮座している。

日が傾くにつれて宵闇に溶け込むかのように刻一刻と表情を変えていく下諏訪の町。

その様子を緩やかな坂道を登りながら眺めているうち、下社秋宮の正面に出た。

諏訪下秋09

今宵の宿は境内の裏手にあるホテル「山王閣」。

元は長野県の第三セクターによる国民宿舎として昭和40(1965)年12月、下社秋宮の境内地内に開業。

昭和62(1987)年に下諏訪町の第三セクターへ移管、平成3(2005)年には有限会社化されて民間企業となった。

間口の広い玄関を通ると眼前には広々としたロビー、奥は一面ガラス張りで諏訪湖が一望できる。

何がしかの宴会でもあったのか、ロビーでは正装した人たちが談笑しながら行き交っている。

創業から50年以上も経つが、まだまだ下諏訪町の社交場として現役のようだ。

チェックインの際、フロントマンに訊いてみた。

「来年で営業を終了するって話を耳にしたんですが」

「ええ、そうです。来年3月一杯です」

フロントマンはあっさり肯定した。

「すべて建物を取り壊し、更地にして諏訪大社さんにお返しします」

閑古鳥が鳴いてガラガラだというのならともかく、眼前の結構な賑わいぶりを見ると閉館するのは勿体ない気もする。

予約しておいた部屋は格安の四畳半「訳あり和室」。

なぜ訳ありかというと「アウトバス」、つまり風呂も便所もないため。

室内の造作も古びており、これは閉館も止むなしかな…と一転、気が変わった。

諏訪下秋10

[旅行日:2016年12月11日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]02

諏訪下秋05

15時30分、松本バスターミナルに到着。

約2時間半のバス旅は鉄道旅行とは一味も二味も違う、山岳ドライブの醍醐味を存分に味わえた。

松本駅へと歩く途中、頭上には青空が広がっている。

鉛色の雲が低く垂れ込めた高山とは、まるで別世界だ。

松本駅構内の跨線橋から0番線ホームに向かって降りると、階段の影に1軒の立ち食い蕎麦屋が佇んでいる。

名は「山野草」。

店内は程よい狭さで、一見どこにでもある駅そば屋に映るが、正体は知る人ぞ知る名店だ。

ここには通常の立ち食い蕎麦と特上の2種類ある。

特上は生麺から茹でるため、予め茹で済の通常バージョンより時間がかかるうえ、しかも高い。

それでも客の様子を見ていると、ほとんどが特上を注文しているようだ。

もりそばでも40円程度の差額しかないので、たとえ待たされても特上のほうがお得感はある。

食券の自動販売機で暫く品定めした末、いかにも信州っぽい食材が羅列してある「特上きのこ山菜そば」に決めた。

蕎麦粉もキノコも山菜も地元信州産かどうか分からないが、そこは気分というもの。

手頃な価格で信州気分を満喫できるのだから野暮は言いっこなしだ。

諏訪下秋06

黒っぽい醬油味のツユに沈む蕎麦の上に大ぶりのキノコと茎太の山菜、薬味のネギが乗っかった暖かい蕎麦。

一口すすると蕎麦独特の風味が口腔に広がり、立ち食い蕎麦にありがちな「蕎麦風味の細饂飩」みたいな麺とは一線を画している。

それでいて妙な高級感を漂わせることもなく、あくまでも駅そば屋としての立場を弁えたかのような店構え。

旅の合間に心の隙間を満たされた思いで跨線橋の階段を登った。

松本駅5番線ホームから15時55分発の小淵沢行1536M列車に乗車する。

下諏訪駅まで30分余り、運賃ジャスト500円の鉄旅。

だが座席はロングシートで、なかなか旅情に乏しい。

しかも日曜日なのに部活終わりの高校生で車内は結構な混雑ぶりで、さほど平日の通勤通学列車と変わらない。

電車は塩尻駅で篠ノ井線から分かれて中央本線に入り、16時29分下諏訪駅に到着した。

諏訪下秋07

[旅行日:2016年12月11日]

一巡せしもの[諏訪大社下社秋宮]01

諏訪下秋01

12時50分、特急バスは高山バスセンターを松本へ向けて出発した。

市街地を抜けて山間いを奥へと進むにつれ、薄曇りの空は鉛色の濃度を深めていく。

山襞が折り重なる隙間を縫うように道が走り、バスのエンジンが唸りを上げて坂を駆け上がる。

1時間弱ほどでバスは平湯バスターミナルに到着し、10分間の休憩。

ここは「アルプス街道平湯」という日帰り温泉施設で、食堂や売店を備えている。

奥飛騨温泉郷の平湯温泉にあり、広い駐車場を備えたドライブイン施設でもあるのだが、見たところ駐車場はそれほど埋まっていない。

それもそうだろう、ここまで雪深い山道をウネウネ登って来なくてはならないのだ。

よほど雪道に自信のあるドライバーじゃなければ、とてもじゃないが怖くて近寄れない。

時間があればゆったり温泉を堪能したいところだが、たった10分では寛ぐどころの話ではない。

諏訪下秋04

しかし、中に入らずとも寛げる場所はある。

それは…足湯。

館外にあるのでサッと入ることができ、しかも無料。

けど、それすらも時間が足らなかったのでパッと眺めて終わり。

売店で唐揚げとサラミ、ビールを購入してアタフタとバスへ戻った。

すると、ターミナルから新たに乗車してきた客が何人かいる。

そうか、ここで下車して温泉や食堂で寛ぎ、高山から来る後続の松本行きに乗れば良かったわけか。

松本へ向けて再び走り出したバスの車窓から常緑樹の緑と雪の白が斑らに入り混じる山肌を眺めつつ、

唐揚げを齧りビールを呷る。

だが、連続するトンネルの壁面を見ている時間のほうが長くて興醒め。

ウトウトしているとバスは松本の都市圏に入っていた。

前方に松本電鉄の新島々駅が見え、やがて新島々バスターミナルに停車。

ここで下車して電車で行こうかと考えているうちにバスは出発してしまった。

諏訪下秋03

[旅行日:2016年12月11日]

「一巡せしもの」再開します

諏訪下秋32

ご愛読ありがとうございます、「RAMBLE JAPAN」管理人です。

平成22(2017)年10月14日からお休みしてました「一巡せしもの」。

約7ヶ月間の中断期間を経て、明日から再開いたします。

変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
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