国分寺は天平13(741)年、聖武天皇が仏教による国家鎮護のため勅願を発して各国ごとに建てた官寺。
だが、今でも諸国に存在する一之宮に対し、国分寺は結構な数が既に消滅している。
もともと国分寺は疫病や飢饉、反乱などの厄災を、仏教の力で封じ込めるために生まれたもの。
時代が貴族社会から武家社会に移り、権力者が変転するにつれて国分寺の存在意義も薄れていく。
中には廃寺になるものが現れても不思議ではない。
なお、現存する国分寺の中で創立当初の建築を保存しているものは一つもない。
それどころか、国宝や重文クラスの建築物を有しているのは総国分寺の東大寺を除くと飛騨、信濃、讃岐、土佐のたった4寺しかないのだ。
飛騨国分寺の大銀杏は葉が殆ど枯れ落ちていたが、伝承とは裏腹に積雪はなく、激しい降雪に見舞われることもなかった。
幸いではあったが、いくぶん風情に欠けた感があるのも否めない…そんなことを言ったらバチが当たるか。
いや、雪に邪魔されることなく水無神社へ滞りなく参詣できたのも、水無大神の御加護があってのことか。
そんな適当な考え事をツラツラと脳裏に思い浮かべつつ、高山駅前の濃飛バスターミナルへ戻ってきた。
短いようでいて、体感速度は更にアッという間だった高山滞在。
「今度は、もっとゆっくりいらっしゃい」
旅館いろはから去り際、老女将が掛けてくれた言葉を心の中で噛み締めつつ、高速バスに乗り込んだ。
[旅行日:2016年12月11日]