その西横堀川は埋め立てられて高速道路が通り、すっかり「瀬戸物町」の面影は失われてしまった。
しかし阿波座から立売堀にかけての瀬戸物町筋には今も4軒の陶磁器問屋があり「瀬戸物町」の伝統を受け継いでいる。
阪神高速道の1号環状線と16号大阪港線が交差する十字路に出た。
船場は繊維の町として発展してきたのは、冒頭の「船場センタービル」のところでも触れた。
そのルーツは坐摩神社が大坂城築城を機に現在の西横堀川畔へ遷座してきたところまで遡る。
それに合わせて門前には参拝客目当ての物売りや見せ物小屋が立ち並ぶことに。
その中でも特に古着屋は「坐摩の前の古手屋」として名を馳せていたという。
中でも坐摩神社から程近い安堂寺橘通りに店を構えていた古手屋「大和屋」が有名だ。
天保元(1830)年、大和国の絹屋の息子である十合伊兵衛[そごういへえ]が創業した店。
明治5(1872)年に呉服店へ転換し、5年後に心斎橋筋へ移転、店名を「十合呉服店」と改称。
大正8(1919)年に業態を百貨店に転換、50年後の昭和44(1969)年に店名を「そごう」とした。
その後そごうは経営破綻を経て現在はセブン&アイ・ホールディングスの傘下に属している。
船場の繊維産業もアジア諸国からの格安な輸入品に押され、長いこと沈滞傾向が続いている。
しかし、船場の繊維産業も百貨店そごうも、まだ息の根が止まっているわけではない。
これもまた、縁[ゆかり]の深い坐摩神社の御神徳に与っている証なのだろうか。
夕陽を浴びてオレンジ色に染まった船場の高層ビル街を眺めつつ、そんなことを思った。
[旅行日:2014年3月19日]